破落戸雑記

無銘の破落戸が綴る雑記

今年も東京に雪が積もった。

東京、というと千葉に隣接した臨海部から奥多摩雲取山の頂上、或いは諸島まで含まれてしまう。ということを話の中に入れ込むのは面倒なヤツだけど「雪が降る」という文脈に限ってはあながちバカにできない。なので平野部に関して話したい時は大雑把なニュアンスとして"関東平野"なんて言ったりするのだけど、山陽出身の友人から「地理で習ったワードを使いこなしていて凄い」などと額面通りに取ってよいのか茶化しなのか迷う返しを受けたりする。そんな関東の平野部、個人的な帰属意識としては武蔵野台地にも雪が積もった。


蓋を開けてみると夜半に雨に変わったりで、自分の物心が付いてからだと同一タイでギリ5本の指には入るものの… という具合の結果だった。とはいえ降雪の翌日は自分的には休日、遊ばないわけにはいかない。本当は自転車で走り回りたいところ最もATB寄りのハンターがドック入り中の為断念。せっかくなので腰を据えてカメラと戯れるべく、早朝から散歩に出掛けた。





いつも通りに崖線沿い、宅地造成の影響を受けていない辺りを歩いていく。自分なりの鉄板ルートとなってる。



深大寺辺りで切り上げ。小学生の通学がチラホラ始まり、こんな日でも変わらない一日が始まるのを感じる。着込んだが為に怪しい格好、手にはカメラだけを構えた人間は平日の朝時間には相応しくない。




夜の青海ふ頭で写真を撮る。

りんかい線の終電で東京テレポート駅に降り立つ。一つ前の記事で触れた横浜に行った日は別件で有明も訪れており、その時から気になっていた駅を早くも利用する事に。自分が改札を出る頃には駅員さんが頻りに終電の警告をアナウンスしていた。もし逃したとして、タクシーの捕まえようはあるだろうけど面倒なことは想像がつく。そんな場所に降り立つワクワクたるや…

前々から夜間の臨海部に写真を撮りに行きたいなとは思っており、遂に実行に移したという形。この青海ふ頭は以前にも(夜間に)訪れていて、その時がある種ロケハンになっていたので悩まず決定した。さらに「船の科学館」が近々取り壊されるとのニュースも受け尚更だった。

最短でも始発までの5時間強は滞在しなければいけない。日中は暴風が吹く日で、どうなることやらと危ぶまれたものの風は止み、気温も過ごしやすい(-5℃程度までカバーできる格好での体感)範囲に収まってよかった。露出の確認も含めながら撮りはじめると最低でも2分は露光したい。場所によっては5分ほど開けたカットもあるほど。1タームが長いので意外と時間が溶ける。結局周りたいエリアの1/3程でタイムアップしたので、何度かに分けてまた訪れたい。












なんとなくの知識だけはあった長秒露光に関して実感を伴う経験ができてよかった。一般的な撮影環境とはまるで違うことで、設定の甘さや三脚を前提とした構図決めの精神的・物理的両面の不自由さなどが上がりに直結していた。それと同時に、露光中ポヤーっとしてる"静"の時間の方が多い、ならではのテンポ感それ自体も上質な体験で、こればっかりは知識や情報として共有されないものだと思った。あと三脚に自分の足引っ掛けると萎える。

蛇足。朝マックの"ビックブレックファスト デラックス"が販売終了とのこと。まさにこの日みたいな朝帰り?徹夜明け?のタイミングによく食べていたので、ちょうどよい食べ納めになった。アホみたいな足し算のメニューはそんなテンション迷子で腹ペコなタイミングによくハマるんだ。




横浜へ。

久しぶりに横浜へ出掛けてきた。

振り返ると一昨年⁉︎(年始直後あるある)の11月に開催された艦艇一般公開で、山下埠頭を訪れた時ぶり。場所の確認でGoogleマップを開いたらちょうどそのタイミングの衛星画像になっていた。懐かしい…

今回の目的はパシフィコ横浜で開催されるライブに参加する為。時間に余裕があったので横浜駅で下車し、何となくの雰囲気で新港の方へ歩きながらカメラを触る時間に。








入場場所を確認するべく立ち寄ったホールの入り口からスタートして、なるべく海沿いを広場から歩道へと歩いていたのに、いつの間にか謎のバイパス的なもの(山下臨港線プロムナード)に入り込んでいたらしく、大さん橋が目の前なのに高架から降りられず、人波に流されるまま山下公園まで連れて行かれてしまった。




何気にパイロットボートや水上警察がある風景を見るのは初めてかも。海が人々の営みの中に当たり前にある様、特に横浜ともなれば都会のそれは自分にとってはいつまでも新鮮。


パシフィコ横浜2階席でスタンディングするのには終始身の置き所の無さを感じていたけれど、所謂アイドル現場も、デカいハコでのライブ参戦も初めてに近い事だったので愉快な経験だった。MAHOROBAからうしみつへの繋ぎ良かったなぁ。

文化的な休日。

今日は友人宅にてレコード試聴会から(徒歩圏なので散歩も兼ね) 21_21 DESIGN SIGHTで開催中「もじ イメージ Graphic 展」の鑑賞と、久しぶりに吸収尽くしの一日だった。


展示は近年の商業デザインを中心にしつつ「文字の伝来」を掴みに、謂わゆる西洋発のタイポグラフィとの関係性や独自発展の軌跡など、文化的な立ち位置を推し量ることができる充実した展示構成になっていた。また展示物へのキャプションは批評的な内容を出発点にしつつ、会場の外に出れば我々の生活に密接に関わるそれらの"デザイン"を積極的な捉え方に導いてくれる内容になっていた。"いらすとや"の取り扱いは特に印象的。

上堀内浩平氏の"仕事"はてっきり間近で見られるものと勘違いしていたのでグヌヌ…


タイポグラフィ年鑑は自分の生まれ年の一冊を、めちゃくちゃカッコいい。巻末に当時の会員情報(大抵は事務所の連絡先等)が書かれているのを流し見る中に、ちょーご近所の住所が。二十数年を挟んでの親近感… 当時はそういうのが明け透けだったらしい、というのは少々雑な捉え方やも。

ギャラリーショップで目に留まった本がこれまた凄い良かった。他の客が「表紙と中身全然違った」と言っているのが気になり捲ると確かに… まえがきやタイトルも無い、著者である書家によるモノクロのスナップがひたすら続く内容に衝撃を受けた。ただ後段に書かれた解説は、書や字に関して探求している友人との話が膨らみそうな内容で、面白い結果に落ち着いた。(展示の図録も抜かりなく)


レコード試聴会の話も少し。かれこれ1年以上追っかけ続けている"ぼっち・ざ・ろっく" アニメというコンテンツに収まらず音楽方面への広がり著しく、その一つがLP盤の発売。友人宅に再生環境が整っているのをいい事に注文していた物が年末に届き、満を持して聴くことができた。あっという間に片面聴き終わってしまうから意外と慌しかったり、改めて歌詞カードを読み返したり、消費するのではない音楽を聴くための時間は贅沢だ。




時差と発掘。

日常生活でも「カメラをしっかり持ち出そう」という熱が暖まっては冷めて、を繰り返している。ただ普段の移動は専ら自転車で、一度漕ぎ出してしまうと仕事なら職場へ、というようにグルーヴに身を任せて目的地まで走り続けてしまう。自転車は移動手段であると共に体験を楽しむ大事な手段なのでカメラを携えたとて、なかなかシャッターを切るに至ることが乏しい。加えて一台のカメラを持ち出したかと思えば防湿庫に仕舞い込み、違うカメラを引っ張り出すことも。そんなこんなで久しぶりに白羽の矢が立ったK-7を起動すると、たったひと場面数カットの写真が取り残されていた。一旦取り出すことなく持ち出してしまったので、思わぬ写真と写真が隣り合うのが面白い。

20230924.


K-7/A28mm

20240104.


K-7/DA70mm ltd.

2023年、暖秋の九州旅より。

11月の頭に一週間ほどで九州を巡る旅に出掛けてきた。きっかけは熊本で開催されるライブへの参戦が決まったことで、それならば東京九州フェリーを使いたいところ。文化の日佐世保での満艦飾を狙えそうだったので、ライブの予定からは少し早めに出発し九州の左上を半時計周りで巡ることにした。その時に撮った写真を気に入っていて、特に海や船をたくさん撮ったのでピックアップして纏めようと思う。旅程の順には進むけど、それ以外の要素は端折ってしまっているので紀行としては不親切な部分も。

 

kaede8264.hatenablog.com

 

カメラは何を持っていこうかと考えあぐねた末、堅実にK-1II/DFA24-70mmを選択。もう一年半前の話になる一つ前の記事の時は、まだDFA★50mm一本でやり繰りしていた時期(K-1IIと同時購入の最初期装備)で、当然ながら「単焦点一本で撮れるものに限界がある」という当たり前の問題にぶつかった場面の一つで、それらの累積がきっかけでDFA24-70mmを導入するに至った節もあるので、答え合わせとも言える機会だった。レンズに関しては大三元・標準という用途も含めて特筆しての言及がされ辛い一本だけど、K-1IIと組み合わせた時の実力はKマウント機の消極的到達点だと考えていて、今後も使用率の高い構成になると思う。

またカスタムイメージも「里び」をベースに、最近思い描いている絵づくりを見越して設定してみた。具体的には「ハイライトが飛んでもよいと思える」「コントラストを損なわずに湿度を下げる」という具合で、秋らしいカラッとした空気と斜陽のお陰もあって糸口が見えたような気がしてる。そして、よい環境で連日カメラを触り続けるのもとても大事。

出航

ちょうど1年ぶりの横須賀から旅をスタートさせた。季節外れに暖かい日と被り、持参した上着はこの晩以外全く使わず荷物になった。寒さでみじめになるよりマシだし、今後この時期の温度感を比較するときに度々思い出されるんだろうな。

たった3時間弱の停泊の間に輸送コンテナの積み下ろしが行われる。

 

九州から運ばれてきた多数のコンテナがターミナルに立ち並ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旅の朝

秋の空気と陽射しが心地よい。

太平洋に延びる航跡を望む。

 

 

 

前回乗船したそれいゆとの反航。

 

 

 

秋の優しい陽射しが船内に射し込む。

 

 

夕刻

豊後水道に入りいよいよ九州のシルエットが浮かんでくると、船旅の終わりの名残惜しさと次の旅程が始まるワクワクに包まれる。

日没の遅さからして"西"に来たことを感じる。

 

シンプルなファンネルの意匠。

 

豊後水道を進む飛鳥Ⅱと九州に沈む太陽。

 

 

 

 

 

遥々、佐世保

早くも三日目の朝、道を確認するために開いた地図をふと縮小してみると、遠くまでやってきた実感がじわじわ湧いてくる。関東から九州までの海路はもちろん、門司から佐世保までも一息で繋ぐにはなかなかの距離があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海自佐世保資料館にて、くらまの速力計器盤。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

艦のようなシルエットの赤崎岳を背に入港するあしがら。

 

 

 

 

 

 

 

カラッとした風と斜陽が、開放した扉から待合室に流れ込んでくる。


満艦飾と文化の日佐世保港

 

 

 

 

朝、寄港したクルーズ船招商伊敦と多用途支援艦あまくさ。

 

 

 

 

 

 

 

遠くに針尾送信所、訪問は叶わず。

 

 

 

 

 



 

 

 

旧・第七船渠。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

招商伊敦の出港。

 

 

 

連休初日、人々が楽しげに行き交う。





島原から熊本へ

ライブ参戦へのワクワクを携えいよいよ熊本へ。

 

 

 

 

熊本へ向かうフェリーから有明海に聳える雲仙普賢岳を見渡す。

 

 

 

画面の水平は水平線か自分が接地している構造物か、未だにどちらもしっくり来ない。

 

 

 

 

 

熊本、上陸。

 

また船に乗って旅に繰り出したい、船を使う移動がしたい。

海のまわりで営まれる人々の生活に触れたい。

雄大な海に圧倒されたい。

2022年、晩夏の瀬戸内旅。

はじめに。

今回の記事はとても長期に渡って少しずつ書き続けてきたもので、大まかに紀行文の定を取りつつも心象の発露が多かったり、かと思えばより記録的になったり、なかなか安定しない文章になっている。なるべく全体感を馴染ませたいとは思いつつも、とにかく量が多いこと、書いている側から思い出にアテられて昂ってしまうこと、遅筆であること… などなど含め、その揺らぎすら残すのもアリかなと完全に諦めた。ちなみに以下の書き出しは、春頃に書き始めた気がするがもう覚えてない。今はお盆に突入したくらいの時間軸で、実際の旅が八月の最終週から九月の頭だったことを踏まえて、それまでに間に合わせようとしている。

去年の夏に出掛けた旅のことを書き記しておこうと思う。きっかけは庵野秀明展が山口で開催されると発表された時まで遡る。その時点でひとまず「山口に行こう」という大まかな構想が芽生えた。2021年の後半辺りだったので、そこから半年ほど燻らせ、春頃から徐々に具体的にどうするかを決めていった。「自転車を持って行きサイクリングもしたい」「飛行機輪行面倒い、新幹線だと割高だな」「折角ならフェリー乗ってみるのもあり」と考えを巡らせていった結果、8泊9日で横須賀ー新門司ー宇部周防大島ー広島と巡る大掛かりなものになった。

・1日目 ~出発、横須賀へ。そして乗船~

乗り換えを省略するべく多摩川を下って武蔵小杉まで向かう。武蔵野台地の縁に住んでいる自分にとって、国分寺崖線を降りること、多摩川を越すことは旅の始まりとも言え、それだけで気分が高揚する。輪行駅の交番でお巡りさんと立ち話。必然というか、これからの旅の予定を話し驚かれる。安全を祈ってなのか子供向けのオモチャを貰う。そういうゲン担ぎみたいなのは割と大事にする性分で旅の間フレームバッグに忍ばせておいた。

横須賀着、盟主いずもは不在ながら寄港したシンガポール海軍艦艇をもの珍しく見物する。フェリーの出航は深夜、横須賀自体も観光し甲斐がある街であり、折角自転車を持ってきているので徒歩では足が及ばないエリアまで探索を広げてみる。とはいえ、一歩内陸に進めば傾斜地の連続、谷も入り組んでいるので思い通りの方向に進めなかったり、階段の連続で乗車できないのが楽しい。 

横須賀中央エリアに移動、駅前の駐輪場の対応が手厚くありがたい。とんかつ方丈で夕飯、さかくら総本家での買い物を心置きなく済ませる。この時購入した海軍羊羹はある種のゲン担ぎに旅を終えるまでフロントバッグに忍ばせていた。

夜、陸奥主砲や三笠を仰いで安航を願う。そしていよいよフェリーターミナルへ。既に接舷が終わり一般客に先んじて貨物の積み降ろしなどが忙しなく行われるのを見守る。丸一日稼働し心地好い疲労感だが旅はこれから、まず新門司まで22時間の船旅だ。

乗船し船内を一周した後、甲板に出て出航を待つ。ただ立っているだけで服や肌が湿るほど湿度が高い。腹に響くエンジンの振動や排煙の匂いすら愛おしい旅情となる。スラスターが白波を立て始めあっという間に離岸していく。諸々が終わった作業員さんが岸壁に並んで手を振ってくれる。船は夜の闇に進み、港の奥に見えていた三笠もあっという間に街の光に溶けて分からなくなった。

そのまま甲板で耽っていたい気を抑え、閉鎖時間が迫る大浴場へ。船の転進のタイミングと被り、水面がまさに「斜め」になった湯船に浸かったのは貴重な体験だった。食堂と浴場が閉まる深夜は当然ながら人が減る。洗濯の時間を使って船内の写真を撮り歩いたりと夜更かしを堪能する。この先散々利用することになるランドリーでの時間は思い出深い。乾燥機が発する熱と洗剤の匂い、湿気を含んだ重い空気を纏いながら、ペラッとしたベンチに座り翌日のことを考える。旅という不確定要素の連続の中に生まれる「日常」は、とてつもなく尊い

・2日目 ~船内生活。”暇”~

起床、予約時にスマホに配信されたQRが唯一の解錠手段なのに、寝ぼけたまま手ぶらで自室を出て鍵の閉じこみをやらかす。フロントに伝えた時の「あー、はいはい。」という顔が忘れられない。これまで勤務してきた中で自分と同じような人間を何人見てきたのだろう。恥ずかしい。


船内を散歩してみる。出航時(夜間)は閉鎖されていたフォワードサロンが開いていたり前夜とは印象が違う。他の乗客ともそれなりにすれ違うが、皆穏やかでゆったりとしている。焦ったところで早く着くわけでもなし、急いたとしてやる事もそんなに多くない。不特定多数の人間と共有空間に居て、あれほどまでにストレスと無縁だったのは初めてかもしれない。さてせっかくの船旅、やる事リストをこなしていく。


まずは午前中、姉妹船との反航はデッキから見守った。大きな船だけにすぐ近くを通っていくように見えるが実際はそれなりの距離があり、こちらと同じようにデッキに人はいるものの豆粒ほどだ。普段山に登っていると広い景色に出会うことは珍しくないが、海のそれはまた別物だなと感じる。

日中の入浴は露天風呂が醍醐味で、日本列島(若しくは太平洋)に向かって全裸を晒しながら海風を存分に受ける外気浴はとても気持ちよく、贅沢を言えば涼しい気候の中でじっくり楽しみたかった。露天風呂があるフェリーはそう多くないので出会った時は余さず楽しみたい。

一応個室を選んでいるのでパーソナルな空間でゴロゴロする時間も取りたい。ローカルに保存していたアニメ、横須賀発の船旅ということでハイスクール・フリートを観る。旧海軍艦艇でドンパチやるのがメインではあるが掃海や海難救助についても触れられており、船旅のお供にはピッタリの作品だ。まだ続編製作への希望を捨てていない。

ついついアニメに時間を溶かした後、窓の無い自室を出ると日が暮れかけている。すかさずカメラを持ち出し散歩に出掛ける。既に豊後水道に入っており国東半島と思われる陸のシルエットが朱色の空に浮かび上がるのが印象的だ。実はこの旅の前、3月の下旬に大分で開催された庵野秀明展に訪れておりその時の記憶が思い出される。大分遠征は急遽決めたことだったので、まさか半年の間に二度も九州を訪れることになるとは思わなかった。


楽しい船旅も終盤、日没と共にフォワードサロンのカーテンが閉められ船内施設も閉鎖されていくので名残惜しい。実滞在時間にして一泊の宿泊と同じか少し長いくらいで、意外と散らかった個室の片付けと出発の準備をしながら余韻に浸る。ロビーでは常連であろう長距離トラックドライバーと乗員が気さくに会話しているのが印象深かった。フェリーという乗り物が物流の大きな部分を担い定期航路として開かれているお陰で自分のような行楽客が手軽に利用できることを実感する。その実、短い停泊中の車両甲板の動きは一般客よりコンテナ輸送の入れ替えに割かれる時間の方が圧倒的に多い。

さあいよいよ上陸、港は横須賀と違い市街地から離れているので周りは静かで暗い。しばらく走った後、一旦快活クラブで時間を潰す。下船後バタバタしており数時間ぶりに腰を下ろしたら身体が揺れており、それまで違和感なく自転車に乗れていた事に驚く。

・3日目 ~自走、宇部新川へ~

早朝に出発、目的地とは反対方向に寄り道すべく渡船の始発に乗って海を渡る。ちょうど日が昇ってくる時間で、航跡がキラキラと光っている。隣には立派な橋があるのだが歩道は廃止されてしまったらしく、夜間の移動が困難で停滞を強いられた原因である。ちなみにこの寄り道をカットしたとして関門海峡を渡るのも同様に困難なため、これが最適解だったと思う。

市街地を抜け埠頭に向かう。この日最初の目的地は通称「軍艦防波堤」旧軍の艦艇3隻が用いられた防波堤で、特に駆逐艦「柳」は船体の原型を留めているため史跡になっている。
今回の旅は「船」が強く関わっているので、ぜひ立ち寄りたい箇所だった。撮影をしたり、船体に上ってみたりしばらく訪問を堪能した。

防波堤を後にし、一路宇部を目指す。途中、門司港関門海峡、唐戸市場といった主要な観光地もあったが、暑さでバテていたり日曜で人が多かったりで早々に流してしまったものの
なかなか行けるような場所でもないので後悔。関門トンネルは涼しかったけど空気は薄いし、バカ正直に移動に使ってる人なんて滅多に居なかったな。そして横須賀ぶりに本州の土を踏んだ。

その後も地方国道・県道に圧倒され、時々海沿いや農道を走ってみたり騙し騙し幹線道路を回避しながら進む。途中、県道と農道の立体交差になっているトンネルを陣取り休憩してみた。人気もないので地べたにへたり込み田んぼと山並みを眺める。暑い、がピークは過ぎており、こういう「何でもない時間」を楽しむ余裕はある。ああ楽しい、いいね。

色々ひっくるめた疲労はボーダーラインを超え、「ついに」という感慨でよく分からないテンションのまま宇部新川に到着した。冒頭に書いた通り、この旅のきっかけであり目的地であるのだが、宇部新川の説明はどう書こうにも無粋で冗長になるので控える。

分かる人は「はいはい」と思ってもらえればよいし、そうでない人はシンエヴァをはじめとした庵野秀明作品を履修してもらえればなと思う。ところで、駅舎を見て回っている時にツーリストが声を掛けてくれたのだが、自転車とエヴァが好きで話が合わない訳もなく、しばらく話し込みその後も緩々と交流があるのが嬉しい。自分が早くても遅くても、予定通り投宿を先にしていても遭遇できていない不思議な縁だったと思う。

さて、「あの」ABホテルに無事チェックインし一息つく。ここでの滞在は3泊と少し長め。まずはローカルのスーパーで食材をしこたま調達して部屋に籠る。ご当地の牛乳、アイスクリーム、醤油のチェックは欠かせない。

・4日目 ~休息日、だらだら散策~

丸三日間慣れない環境で動き続けたのでお疲れ気味。ダラダラ準備しつつまずはときわ公園へ。前日は気づかなかったが街も人もゆったり時間が流れていて心地よい。とはいえ公共交通の頻度はシビア。東京の感覚で居るとGoogleマップはいまいちアテにならず、案内所の方が親切に誘導してくれたお陰で発車間際の目当てのバスに乗ることができた。遠征地でバスを利用することは稀なのだが、これはこれで楽しいなと揺られながらに思った。ちなみに山口滞在で一番のカルチャーショックはローカルのバスがPASMOで利用できるのに対して天下のJRで切符が現役だったこと。自動改札が無いのがデフォで現金を箱に直入れする場面も。幸い立ち行かなくなることは無かったが、滞在が長く利用頻度も多かったので毎回冷や冷やした。

ときわ公園の目的は「ふしぎの海のナディア展」の見学と公園の散策。この日は晴天ながら暑さは幾分緩く、カメラを携えてのお散歩が捗る。ナディア展は某疫病の影響やらのゴタゴタで機会を逃していたので訪問が叶って嬉しい。アニメ関連の展示ではよくある事だけど、映像展示の音響が滞在中ずっと聴こえてきて少し鬱陶しくもありつつ高揚感に包まれるのが楽しいよね。会場を辞してからは更に園内を散策してみる。途中立ち寄った石炭記念館、炭鉱を模した展示ゾーンの蝋人形が怖かったことと古めの空調の匂いが記憶に残ってる。

そうこうしているうちに腹も空き始めたので移動、宇部空港まで歩いていく。この辺りは、友人が生まれ育った場所でこれに合わせて色々話を聞いていたので答え合わせをしながら。「実家の目と鼻の先に空港がある」とか耳を疑ったけど実際ホントだった。

さて宇部空港の目的はこれまたエヴァコラボ。一度はどこかで見たことある人も多いと思うこの初号機像。大抵の人は飛行機でやって来て出迎えられるんだろうけど、まあ変なルートでやって来たので手ぶらで空港を徘徊する変な人になってしまった。せめてもと構内のレストランで昼食、離発着の谷の時間なのか空いていて良かった。

更に移動して新川周辺の商店街をふらふらと。周辺の飲食店が一連のコラボに合わせて限定メニューを展開していたりするのでそれらを目当てに。空港でしっかり食事は摂ったので散歩で腹ごなししながら甘いものや飲み物を出してる店をハシゴ。

宇部滞在を初めこの旅の中でのもどかしさの一つは、食べたい食事に対して食べられる量がまるで足りなかったこと。それは一日当たりの回数と一度の食事での品数の両方、まあ無理な食事を重ねた。献立のバランスも嗜好品に偏りがちなので、後半は胃腸の調子が悪化した。10日弱でも生活基盤の無い生活を送ると「身体はこうなるのか」と面白かったし、逆に調理や片付けの手間、献立で悩む必要が一切掛からない毎日は夢のようだった。一度宿に戻り食事に出ようとリサーチした記憶が薄らとあるが徒歩圏の駅前は居酒屋ばかり、遅い昼食とカフェのハシゴもあったので、軽食を買い込み部屋でのんびりした。

・5日目 ~遂に庵野秀明展へ 旅も折り返し~

早朝、ビジネス客に混じっての朝食から一日がスタート。宇部新川から列車に乗り県立美術館へ。「鉄道=電車」とつい書きそうになるけど気動車だったな。展示自体は東京、大分に次いで三度目なので全体的にはそこまで目新しさが無いものの会場が変わる毎、場合によっては会期中でも展示物の変更がある展示なので、その辺りを重点的に見てまわった。また、映像展示も腰を据えて一つ一つ通しで観られて良かった。ダイコンフィルムだとかは特に。

庵野秀明展は21年10月の東京展から数えて丸2年以上も巡回を続けていて、現在は当初公開前だったシン・ウルトラマンとシン・仮面ライダーの両作品が既に劇場公開を終えている。山口展開催の告知と共に立ち上がったこの旅の企画(大分旅行も含めて)と1年弱ランデヴーを続けた後、向こうは今なお進み続けているのが羨ましい。自分はこれ以降、大きな時間軸での旅をできていないので23年も同じくらいの規模の旅に繰り出したいと思っているのだけど、きっかけや思い入れが生まれないとなかなか旅程は組めないものだなと。それは物理的な経路と精神的な意味合いの両面で。

山口での大事なタスクはもう一つあり、御堀堂の外郎を買うこと。先述の友人に勧められており本店が近傍だったので立ち寄った。宅急便の手続き待ちの一服に提供されたものをいただく。散々話には聞いていたので感慨もひと塩、美味しくいただいた。宿への持ち帰り、土産として送ったものを帰宅後にと何度か食べたがまた食べたい。通販も可能かもしれないが赴くまでの文脈も含めて一つなので、なかなか実現しそうにない。

山口を後にし、初見の駅で猶予数分の大博打な乗り換えを成功させたりしながら空港近傍まで帰還。列車までの時間が中途半端なので一本見送り海岸へ降りてみる。暑い季節なので湿度も高く空や海に爽快感みたいなものはないけど、浜に打ち寄せる波は穏やかだ。カメラを構えたりしつつも、ひたすらボーッとして時より飛行機の離発着の轟音に引き戻されるのを繰り返す。自分の旅やお出掛けは割と予定を作り込むタイプなのだけど、この手の”静”の時間を大事な要素だと思ってる。場所や体験との形容しがたいやり取りというか内省というか… 便宜的に「お気持ち」と呼んでるんだけど、それらを折り合わせる為の時間。更にその曖昧な輪郭を忘れたくないから補助或いは拡張のために写真行為を好むのだろうし、今こうして長々とした文章を書いているのだと思う。

宿に戻る頃、一久ラーメンを食べていないことを思い出し急遽夕飯の当てが決まった。これで宇部でのやりたいことは大方潰せた。宇部興産方面の散策も断念したし、当然全ての要素を掘り下げられてはいないのだけど。3泊4日の停滞もあっという間だった。

・6日目 ~周防大島上陸、唯一の野営日~

最後の目的地は広島なのだけど寄り道と遠回りをする予定。切符では辿り着けない長距離の乗車券を購入したからか駅員さんに力強く送り出される。宇部新川の到着メロディーも聴き納めだ。宇部線から山陽本線へ、暫しの鉄道旅といこう。部活へ向かうのだろう学生がボックスシートに寝転び、車掌が巡回する度に慌てる様子が微笑ましい。車掌もまた咎める素振りが無いのを見るに長距離利用の日常的な光景なのだろう。自分はといえば流石に一週間を超える旅程、ラジオの聴取期限が迫るので少しずつ消化していく。時より視界が開け目の前に瀬戸内海が広がる。スクリーンのような車窓を独り占めできる、こんな素敵な機会があるのならロングシートも悪くない。

乗り続ければ広島は遠くないが途中下車し数日ぶりに輪行解除する。宇部から広島までのこのパートは逡巡を重ね、離島経由の構想がきっかけで、Google Mapをこねくり回している最中に奇跡的に見つけた陸奥記念館を訪問することに決めた。周防大島に上陸。記念館は島の反対側で、距離は程良し時間はたっぷりなのでのんびり走っていく。最初こそ自動車との混走があったものの、どうやら本島からの入り口に当たる交差点の信号で数台抜けてはパタリと止みの繰り返しになっていることが分かってからは途端に走りやすくなった。それも奥まるにつれまばらになりとても快適なサイクリングだった。

昼食は海鮮丼とフライの定食を、これまた瀬戸内の海と離島を見ながらいただく。ところで、この旅を終えた直後に友人が周防大島を訪れて、奇遇にも同じ店で食事している様子をSNSに掲載しておりフライが旨かったことなどで話が盛り上がった。お互い店の情報などには触れていなかったので、判明したのは食事と景色に拠るところが大きくそれだけ印象深かった。

スーパーに立ち寄りつつ早々に目的地に到着。陸奥記念館がメインだが水族館が併設され、更に敷地の大半はキャンプ場になっておりこの場所で翌朝まで停滞する。水族館も回りつつ記念館は特に楽しみにしていた場所なので熱心に見学し、資料スペースで「月刊 丸」などを読んで閉館ギリギリまで冷房の恩恵に預かった。

敷地内には屋外展示もありそれらも見て回る。北九州で訪れた軍艦防波堤然り、史跡や記念艦などとして現存する旧海軍艦艇の数はとても少なく、そのスケール感やディテールを得ることはなかなかに難しい。この場所にあるのも引き揚げられたうちの一部ではあるものの、スクリューひとつ取ってもとにかくバカデカい。さすがビッグ7。

ひとしきり展示物を見終わり隣接の浜辺を散歩、遠くを航行する船を眺めたりも。これといってやることもないので暇を謳歌する。結局草地のエリアはカウボーイスタイルで夜を明かすには心許ない(虫が多過ぎる)ので東屋のベンチを占領させてもらうことにした。今回の幕営装備は上半身を覆えるポップアップ蚊帳と下半身を突っ込む用の輪行袋のみ。試しにセッティングしたところ、ものの数分で輪行袋内がビシャビシャになったので早々に脱ぎ捨て仮眠以上の睡眠は諦めた。

日が暮れ、施設も閉まり職員も全員帰ってしまった。更にサイトは貸し切り状態なので究極の孤独。周囲半径数百mに人が居ない状況は経験が無く、率直に闇と静寂が怖い。かと思えば遠くの方でやんちゃなエンジン音が聞こえ、それはそれで近づかれたら嫌だなと。
そんなうだうだを早朝まで続け一瞬だけ気絶することができた。

・7日目 ~ダイナミック乗り換え、呉へ~

当然、非科学的なハプニングや現実的なトラブルに遭うこともなく日の出の時間に。瀬戸内の海と朝焼けを見て心底ホッとした。装備を整えてくれば、環境を満喫できる良いサイトであることは間違いないので、涼しくて虫の少ない季節にでもキャンプメインで再訪したい。

コインシャワーで身体と服をリセットし出発の準備を整える。ふと海の方に目を遣ると遠くの島陰の間を護衛艦がゆっくりと走っていくのに気付いた。カメラを取り出す隙が無かったのが悔やまれるが、これぞ瀬戸内、呉近郊の醍醐味という光景を見せてもらった。

記念館を後にして走ること数分、フェリー乗り場に到着。こんな距離感なのに無理な野営を敢行したのはフェリーの本数が少なく、予定を組んでいる段で「急ぐくらいなら一日くらい野営もアリ」とノリで決めたのが原因。待合室はエアコンが効いていて、みるみる身体が除湿されていく。あぁ文明の利器に感謝。と寛いでいたらバケツをひっくり返したかのような雨、早めに移動しておいて良かったという安堵とフェリーが欠航でもしたらという不安がグルグルしていた。幸い通り雨でフェリーに乗る頃にはすっかり止んでいたもののこの日は雨予報ありの曇天。

無事乗船し目指すは松山!一瞬だけ四国に上陸する。この手の近距離移動のフェリーは、鉄道ならば特急或いはグリーン車相当に座席がゆったりしているのが良い。更に座敷も用意されているのでドライバーなどが仮眠を取っていたりも。これは船移動全般に言えることだけど、利用中の自由があるのがありがたい。船室や座席に留まっている必要は無く甲板に出ることも基本禁止されていないので、座ったり寝転がったりして休憩し、時より散歩して外の空気を吸うこともできる。結局海を眺めるのが楽しくて終始甲板をウロウロしていたのだけど。自分にとって公共交通全般は移動に特化していて常に忙しなく、気が抜けないものというイメージが瀬戸内の移動で使ったフェリーによって覆されたのが新鮮だった。加えて自転車は畳まず乗船できて当たり前なので、この地域の海上輸送の充実具合をフル活用したら、自分の走力を拡張して楽しい遊びができそうだなとワクワクした。

松山では少しばかり移動して別の港へ。途中にはここぞとばかり渡船を使ったり一瞬の滞在を満喫する。海沿いの街並みや土地の雰囲気は本州側と大きくは変わらず「四国に上陸した」という感覚は薄い。小雨が降ったりで、少し勿体無い気もするけどターミナルで待機、地域のハブになっているようで色々な航路の船が出入港し人の出入りも激しい。そんな様子を眺めながら一六タルトを貪る。前日、記念館の行きしなに惣菜パンを買ったきり、まともな食べ物にありつけていなかったので甘味が染みる。と同時に少しばかりのご当地要素になった。

相変わらず天気は不安定で観光に障らないか心配だったがなんとか保ってくれた。呉では艦船巡り→大和ミュージアム→てつのくじら館と駆け足で巡っていく。何れも盛りだくさんの内容ながら、時間の都合で満足に観られなかったのが悔やまれるが、外せないのは大和ミュージアム屋外にある戦艦陸奥の展示。これで横須賀ヴェルニー公園、陸奥記念館と併せて3箇所に及ぶ戦艦陸奥に関わる展示を一筆書きで周ることができたことになり、旅の芸術点が大きく加算されたなと自己満足に浸った。ところで博物館はそれぞれ今も面白そうな企画展が開催されており、期間も長めなので再訪の機運はとても高い。

駆け足な呉滞在の仕上げは歴史の見える丘の訪問。簡単に説明すれば戦艦大和が建造された場所を望み、現在は海自艦艇はもちろん、世界最大級にも及ぶ民間船が建造される様子を眺めることができる。横須賀港も迫力ある場所だが、現役の船渠が間近にあるというのは呉港の特徴の一つだと思う。

そんな場所で大規模改修のためドック入りしている護衛艦かがの様子を見るのはなかなか貴重な機会となった。この文章を書いている現在(1年後)でも、少し前に一時的に出渠したことが話題になっただけで、まだ改修は続いている様子。そのうち横須賀に寄港した時などは見に行きたい。

あとは広島市街に取った宿に向かうのみ。電車とフェリーで迷ったが駅前の混雑具合を見てフェリーに決定。乗船待ち時、港の方から相次いでラッパ吹奏の音色が、日没だ。これも基地がある港湾ならではの光景、偶然にも立ち会えたのは良かった。周防大島からそれなりに疲れる行程だったので、電車比では時間のロスはありつつも快適な船内で暫し休息を取れたりと結果的に奏功した。広島港着、宿まで走る。遂に降り始めた雨と三角洲ならではの道なりに翻弄されヘロヘロ。幸いにも広島滞在の宿は自転車利用者向けの部屋を取ったので気楽。とはいえ雨に濡れて人間も自転車も汚い上、エレベーターに車体が嵌ってしまったりと疲労と空腹で自分の性能がこれでもかと落ちぶれてチェックイン時は散々だった。そんな自分にも最大限のホスピタリティで対応してくれたことに感謝。食事に出歩く気力も無いのでコンビニでしこたま食料を買い込むなど。宿は川沿いの閑静な立地なんだけどすぐ裏は夜でもちょい賑やかで、コンビニからの帰りがけ、型落ち・シャコタン・フルスモークのセルシオの脇を通る時は少し大回りで避けたよね。風呂に入り、洗濯だけは頑張って気絶するように長い一日が終了。

・8日目 ~広島市内観光 Grumpy訪問など~

相変わらずノリで朝食付きプランを予約してしまった数ヶ月前の自分を恨みながら、時間ギリギリに滑り込む。長い旅も残り二日、お釣りを残さず楽しもう。この日は前半パートとして自走で元宇品や太田川を走り、大本命Grumpy訪問などをこなしていく。YouTubeでよく見た光景ばかりで、自分の生活圏に次いでナビ無しで走れるのではという勢い。こんな場所をホームタウンにして自転車ライフを送れるのが羨ましい。またもタイトスケジュール、実績解除的なライドしかできなかったのが悔やまれる。繰り返すけどGrumpyは動画で幾度となく見てきたので店を訪れて、またスタッフさんとお話しできてとても楽しかった。ついつい嵩張るお買い物もしてしまって後々大変だった。

一度宿に戻り自転車と荷物をデポ。後半パートは市街地の散策だったので自転車を置きに戻ったわけだけど、それができなければ行程には不自由がつきもの。実際、横須賀や呉などで自転車に色々残したまま駐輪して離れなければいけない場面があった。幸い盗難やイタズラには遭っていないけど、無用な緊張を強いられるのがストレスに変わりはない。自転車を用いた旅は楽しさと共にその手の不安に晒されるものなので使える手はなんでも使いたい。

せっかくなので路面電車を使いつつ平和記念公園辺りから周辺散策。公園内は静かで穏やかだけど、賑わいを見せる市街は目と鼻の先、実際に訪れてみると教科書等で目にして来たものから印象が変わっていく。戦禍を伝える場所と密接に隣り合った場所で確かに絶えることなく人の営みが巡っている、この関係性こそ広島という街が提示する平和の本質なのかなと思いを馳せた。

昼食を食べそびれたので、早めの夕飯にお好み焼き店に入る。早い時間から開いている店が有名店だったらしく出る頃には行列とすれ違うほど。カウンター席で目の前で一つ一つ作られている様子を見られるので、提供まで時間は掛かるもののアクティビティのような感覚で楽しく、提供されたものも間違いのない旨さとボリューム感だった。雰囲気にアテられてそば玉一つ足らずで退店してしまったけど、うどん玉も頼めば良かったなと後悔。旅全体の気疲れも蓄積されており早々に宿に戻り寛ぎつつ一日が終了。

・9日目 ~最終日、無事に帰京しよう~

楽しかった旅も遂に最終日。前半数日のホームシック、中盤折り返しの名残惜しさを経て最終盤はもはや未練はなくなって平穏。前日より余裕を持って朝食を取り、あとは輪行前提の荷造りを済ませゆったりチェックアウト。やけに賑わう市街を見て土曜日だったことに気づき、久しぶりに曜日感覚を取り戻した。初めての特大荷物席も抜かりなく無事に新幹線に乗車、あっという間に街が遠ざかってゆく。

速い、早すぎる… 残留思念はしばらく中国地方を漂っていたことと思う。小田原での離脱が災いしてか新幹線の乗り換えという苦行を強いられたりもありつつ。いざ小田原駅に着いた瞬間、家まで数十kmという距離なのに「帰ってきた、もはや地元」とすら感じたものだけど、多摩川を越え、いざ武蔵野台地を実際に踏み締めた瞬間、本当に長い旅が終わってしまったのだと強く実感した。

日常生活において10日足らずの時間は瞬きする間に過ぎてしまうほど短い時間だけど、この8泊9日はこれから先、モラトリアム期を思い出す上で確かに忘れることのできない日々になった。そして次を夢想し計画に起こして、新たな旅に出よう。過去を懐かしんで悦に入るだけでなく、更新し続けよう。

・蛇足

一連の写真はその年の春に購入したK-1II/DFA☆50mmにて。旅に単焦点一本勝負で繰り出すのはよい写真が撮れると共に、主に画角由来で取り溢してしまうものも決して少なくない。またそのサイズ感や人間側の疲労具合によって、構えるのを躊躇したであろう場面が多々あった。サブ兼記録用途にiPhone13miniも併用している。

遠くの地で我が足となり、また家となり支えてくれた”柳サイクル パスハンター” 自転車という道具によって移動が拡張されていく楽しさや力強さ、同時にフェリーや輪行を惜しげもなく活用することで、その規模はより大きくなることを体感した。